![]() |
葛城町について | |
そもそもこの地は中心に門前葛城線(門前町の泉光寺裏から福田町の山側、土生瀧へ続く古い道)が通り、この道の北側が主に門前町(上松町)、南側が土生新田町(土生町)の畑地であった。(古地図などから) ![]() 左奥の葛城中学校から旧葛城町会館を通る道が現在の門前葛城線 未舗装でしたが、福田、土生瀧方面に続く。 ![]() ![]() 広くなっています。 ![]() ![]() 西暦 700年頃〜 意賀美神社(鎮座西暦710年) 西暦1000年頃〜 土生神社(鎮座西暦1090年) 西暦1400年頃〜 岸和田天神宮(鎮座西暦1362年) (土生神社由緒などから) ![]() 現地説明会には、塔原線のバスから畑の中を歩いて。 ![]() この道ができるまで、グリーンハイツは、南掃守の光明小学校区と されていたそうです。(当然、矢代寸神社とは無関係) ![]() 祭礼に参加していました。法被は真上町のがらですが、 襟には「葛城町子供会」とされていました。 そのためか、葛城町は矢代寸神社の地区と間違われることが 今でも多いです。 ![]() ![]() 鬼板の紋は稲葉菅原神社の梅鉢のままで、 あぜくら寄贈の吊り下げ旗の紋も、それにあわせて 最初は梅鉢でした。 |
![]() |
kuzuwaka@hotmail.com |